「壊滅」は言葉で表現できない、復興は一歩一歩前へ/石巻市の現地にて
2011年3月11日 14:46、私自身も東京の有楽町駅近くのビル、大型電気店の1Fフロアで、高価な大型TVがバタバタと床に倒れ落ち、店員の指示で屋外に出たところ、屋上の高架水槽(タンク)が大きく揺れ、アンテナが倒れんばかりに大きく曲がり、水槽の水がスコールのような大雨になって、屋上から落ちてきた様子は震災から半年経った今もしっかりと記憶している。
私のような東京在住在勤の人間も、少なからず「被災者」の一人ではあるが半年たった東北の沿岸部の街並みを見たときのショックは言葉では表現のできないほど、恐ろしいものだった。
2011年9月に入り、ネットやテレビでは9.11米国テロと合わせて3.11東日本大震災の特集を多くのサイトや番組でスペースを割いていたが、石巻周辺にはメディア報じられているほどの復興の気配はなくまだまだ、やっと片付けが終わったという街並みがそろってきた程度で想像以上に人影が少なく、休日という事情を割り引いても人通りが少ない。
震災でお母様を亡くし現地の石巻市内の工場に勤務する鈴木則夫さん(45歳、仮名)のご案内で視察させていただいた街は、石巻市、女川町、雄勝町の3か所。宮城県内でも、最も大きな被害を受けた地区の1つであり、その被害は甚大だった。
雄勝町は鈴木さんの故郷であり、あの津波によってお母様の貴い命とご実家を失った地である。
漁港周辺の様子は、たびたびメディアでもその被害状況が報じられているが、「壊滅」の現場は半年の時間が経った今もほとんど変わっていない。その悲惨さはどれだけ技術が進んでもネットやメディアでは伝わらないことを強く感じた。過疎化と高齢化が進み、人口減少と財政の厳しい小さな町村の復興のスピードは非常に遅い。
石巻市周辺の被害状況を数値でみるとその大きさに、さらに驚かされた。
鈴木さんの住む
1)住居&勤務地 石巻市での死者 3,173人 (行方不明者 717人)
2)隣町の 女川町での死者 570人 (行方不明者 411人)
3)ご実家のある 雄勝町での死者 290人以上
震災前の各自治体の人口が石巻市約16万人、女川町1万人、雄勝町4千人と18万人にも及ばない市町村で、突然に4033人もの貴重な命が失われた。(資料参照)
私の住む東京近郊で言えば、三鷹市(18.5万人)や立川市(17.9万人)の規模の市街地が浸水し、4千人もの死者が出ることなどとても想像できず被災された方々の精神的なダメージは計り知れないものがある。
また、震災後の雇用環境も非常に厳しく鈴木さんの勤務する大企業の工場の場合にも被害が大きく、事業の継続が困難はラインもあり数百人単位での他県への転勤や整理解雇もせざるを得ない状況となっている。
宮城県内で震災後に働く場所を失った人は河北新報社 2011年10月01日(土)の記事によると
「宮城県は30日、東日本大震災後に仕事を失ったり休業を余儀なくされたりした人が県内で最大約11万2000人に上ったとする推計結果を明らかにした。震災前の就業者数約105万人(2010年国勢調査)の1割超に相当し震災が地域雇用に与えた影響の深刻さを浮き彫りにしている。」と報じている。
自分自身が現地に立ってみて、最も強く感じたことは「がんばろう、東北!」「がんばろう、日本!」と東京から被災地に向けて声をあげることが、いかに無力か?という現実だった。
また、一方ではこの厳しい現実を見たことで、何もできずに東京で悶々としているよりも、「何もできない自分」を認識できたことで逆に、小さくなことでも、自分自身も何かできることがあるはずだという希望も持つことができた。
「現地に来てもらって、現場を見てもらう。現実の姿を一人でも多くの人に知ってもらい、共感してもらえれば、それが自分たちの支えにもなる」という鈴木さんの言葉を借りれば、知ることで自分のできることを見つけるきっかけを作ることができるのだ。
10月3日付の日経MJには、この雄勝町から漁港の復興のために地元漁業者が立ち上げた新会社「OHガッツ」がトレーサビリティを活用して、水産物のブランド化と出荷価格の底上げを目指す新しい取組に挑戦するという記事が大きく取り上げられていた。
この会社では1口1万円で一般市民からの出資も募り、1,100万円もの資金が集まり、9月18日には雄勝湾に養殖カキの稚貝を投入し2年後の収穫を見込んでいるとのこと。
被災地だけではなく、全国的にも政府、自治体、民間企業など、復興への動きが各地で進みつつあるが少しでも被災地の方々の気持ちに寄り添って一人一人ができることをそれぞれの立場でやるしかない。
共感と行動、実行力しか、この現状を変えることはできないということを痛感した貴重な現地体験だった。
参考資料 東日本大震災 被害状況専門サイトより【震災前】 ※石巻市のHPより
平成23年(2011年):2月末における石巻市の人口と世帯数 人口:162,822名 世帯数:60,928
【震災後】平成23年(2011年):9月28日時点の石巻市の被害状況※ 宮城県HPのデータより
死者数:3,173 行方不明者数:717
避難者数:1019 避難所数:44 住宅、建物被害(全壊数+半壊数):23367
仮設住宅建設完成戸数:7270/7298 (完成度99.6%,9月26日時点) 仮設住宅建設箇所(団地数):131
【震災前】※ 女川町のHPより
平成23年(2011年):2月末における女川町の人口と世帯数 人口:10,016名 世帯数:3,852
【震災後】平成23年(2011年):9月28日時点の女川町の被害状況※ 宮城県HPのデータより
死者数:570 行方不明者数:411
避難者数:233 避難所数:6 住宅、建物被害(全壊数+半壊数):3276
仮設住宅建設完成戸数:1105/1294 (完成度85.4%,9月26日時点) 仮設住宅建設箇所(団地数):30
(2011/10/12 掲載)