 |
(澁谷)会社の創業についてお話を聞かせていただけますか。
(金綱社長)著書にもありますが、私どもは三代続いている家業です。もともとは宮大工だったのですが、私の代になって昭和39年に「有限会社金綱工務店」という会社組織化したのが始まりです。学校を卒業してからは「久米設計」に勤めていました。ところが先代の社長が急に病気で倒れてしまいまして、親戚中で集まって相談した結果、私が設計会社を辞めて工務店を継ぐことになったのです。そのとき、一年ぐらい決心するのに時間がかかったのですが、「どうせ辞めるのであれば日本の建設業の中で新しいものを考えていきたい」と考え、大学の同期と先代から残ってくれていた2人の四人で会社はスタートしました。
昭和45年当時、民家となれば瓦などの地味なものを作っていたのですが。私たちはデザインや設計事務所を駆けずり回って、屋根がフラットで鉄筋コンクリートのような住宅を作りました。パンフレットを銀行窓口に置き、当時始まった住宅金融公庫の当選者にパンフレットを配ったところ、驚くほどの注文がきまして、20棟30棟と住宅建設を受注したのです。
|
その後、地元千葉のスーパーマーケットからアメリカ式店舗建設の依頼を受け、研究のために、オーナーと一緒に初めてニューヨークとシカゴに行きました。建設中のシアーズタワー(1974年完成.442m110階)に行き、当時19階まで出来上がっていたのですが、出入りの下請会社の人とも仲良くなり、日系の銀行に頼み込んで19階の現場を一週間ほどじっくり研修したのです。「目からウロコ」とはあのことですね。日本の大工と違って、当時の日本では大工が釘をとんとん打っていたわけですが、その当時からアメリカはすべて空気式の釘打ち(コンプレッサ)機械で10倍も速度が違う。経営の仕組みも違い、当時からアメリカではCM(コンストラクション・マネジメント)方式が取り入れられ「建設会社はコンサルティングを提供し、施主の承諾を得ながら部材購入を進め、10%程度のコンサルフィーを収益とする」モデルだったのです。
千葉の中心街に9階建の本社ビルを建て、ビルの施工モデルとしてTVコマーシャルを流したところ、クライアントがこれまでの住宅からビルや事業所に変わり、オイルショック当時は53年ぐらいまで不況だったのですが、当社は急成長を遂げました。
成長の要因は「地域密着型の企画開発型提案」です。地域の資産家に新しい事業計画をつくり遊休資産の有効活用を提案したところ、たいへんな評判になり、例えば都賀地区の開発で住宅や倉庫、店舗、金融機関など60箇所もの事業所を誘致したのです。それがある時、日経新聞に掲載され、地域の街造り事業として番組に取り上げられ、「快進撃カンパニー」という番組で30分ほどTV放映されたのです。
昭和47年に本社ビルを建設、営業戦略も変化し、その頃にトヨタ看板方式を自動車の業界紙を見て「これを建設現場で実現したらすごい生産性が上がるのではないかな」とこう思いました。全国的にもいち早くトヨタのカンバン方式を採用し、コストが圧縮され粗利が5%ほど向上、競争力を増し公共事業においても最低価格で落札しても十分な粗利を確保できるようになったのです。工期も他社が10ヶ月かかるところを7ヶ月で完了し、生産性が高くなりました。不況の時代にあっても、当社は右肩上がりに成長しましたが、一度に拡大をせずに階段を一段ずつ上がることにしたのです、二段ずつ上ろうとすれば必ず十何段目かで疲れてしまう。踊り場になってしまう、計画的に階段を一段ずつ上がれば良いと考えています。
当社の店頭公開の特徴は、二部、一部上場時もそうですが、いずれも自社による手作りで実施したことです。外部の専門家を頼らず、頑張って自分たちで苦労すれば、社員がどのような企業かを理解できるということで、プロジェクトを組んで夜中まで勉強会をしてやり遂げました。その経験が非常に良く、結果として私共の経営理念が自然にできあがったのです。「自主先進の経営」という理念はすべて自分のところでやるということです。自らが主体となって、他社に頼らずに自分でやろうと。2つめに重要なことは「戦略的経営」です、常に企画、戦略を立て世の中の変化に柔軟に対応しようということです。
(澁谷)自主先進の経営ということで、みなさんで考えられるからこそそういった経営理念やトータルシステムなどが出てきたわけですよね。
(金綱社長)長くいる社員はもちろん、若手も研修を受ける中で精神構造が統一されていくということかと。「人を育てる経営」というのが3つ目にありますが、これは一番難しい。戦略や経営を構築していくのは会社の力ですから何とかなりますが、人は個性がありますからね。意思統一していくのは非常に難しい。 |
 |
(澁谷)教育が大切だとお考えなのですね。
(金綱社長)組織の中で個人が個性を発揮できるような人材の育成は非常に難しいのですが、会社という集団の中で常に新しい着想が生まれてくる。企画力、技術力の養成が会社にとっては一番重要なことです。どれほど良い戦略があっても、商品が良くなければ効果が薄い。技術に関する研修は常にやっており、社員の95%ぐらいは国家試験を取得し、企業内教育の面で国からも表彰を受けております。
(澁谷)特に技術研修に力を入れているということですね。
(金綱社長)お客様に常に顔が向けられる、お客様に何が提供できるかを考えるという、そういう人間性が大切ですね。
(澁谷)人間性の育成ですか。人間性を高めることが顧客に目をむけ、親身になるなど。教えるのがなかなか難しいのですね。
(金綱社長)又一方で、技術でなく、個性でなく、社会人としての人間性を育成する。これも最終的にはお客様に対して、企業の将来に対して、先輩、社会に対して示される最大の「力」だと思います。私共はそういった「創造」・「技術」・「人間性」の育成を重要だと考えています。
 |
(澁谷)他の建設会社さんと比較して御社の持っている「強み」について教えていただけますか。
(金綱社長)経営的にはコスト力が強みです、要するに競争力があることですね、より良いものをより安く、より早く提供することが原則で、生産システムの研究や戦略、地域密着型提案システムを作り、今ではデベロッパー事業と建設事業を融合させた利益の出し方を図っているのです。総合建設業でありますが、デベロッパー機能をもった建設業として、利益の創出が一般のゼネコンよりも深いところにある。自社で設計施工をするハードの部分とソフトの部分がすべて融合して利益があがる仕組みなのです。経常利益も他社が3-4%のところ、当社は7-8%となります。
澁谷)コスト面でも利益面でも、ローコストオペレーションなのですね。
金綱社長)ハード、つまり製品は、テレビやパソコンなどと同じように新製品が開発されれば一気に潰れてしまう。ところが仕組みとか戦略といったもの、ソフト&ハードの複合体による利益の創出システムやビジネスモデルを創り上げれば、これは他社に見えないのです。要するに「深いところ」に利益の創出のメカニズムがあるのです。 |
(澁谷)建設業界全体、マンション業界全体に対する方向性などはいかがでしょうか。
(金綱社長)私共より規模の大きいゼネコンでも、技術力はあるのですが、ムダが多いのです。まだまだ、改善の余地があります。海外や全国各地に支店を持つ大企業が当社のビジネスモデルの出す利益を見て勉強に来るのですが、本来は自分のところで生み出し確立しないと意味がないのです。
(澁谷)やはり社長のリーダーシップにプラス、社員の方々の知恵とか色々なものの複合ということなのでしょうか。それとも社長のリーダーシップによるところが大きいのでしょうか。
(金綱社長)新工法の「外断熱」のヒントは私が考えたのですけど、それを若い社員が作り上げている。既に特許を30数カ国で出願しており、来年の今頃からは、これが現場で使えるようになる。そうすると、同じマンションで同じ仕様で同じものを作っても私どもに15%ぐらいの競争力がつくのです。「外断熱」によりエンドユーザーにとっては光熱費が半分以下になる。型枠がわりにもなるので建設コストが抑えられ、廃棄物が出ないため環境的にも効果が大きいのです。
澁谷)建設業界などでも、やり方によっては仕組みつくりや戦略によって、薄い利益ではなく、利益を生むような企業体質が実現できるということなのですね。
金綱社長)建設業は改革する余地がたくさんあります。例えば、建設というのは非常に大きな金額、億単位です。自動車などと違い、製造過程で雨が降れば、雪が降れば、風が吹けば工程管理が変わってしまう。また、それによってコストが変化してしまう。本来はそうあってはいけないわけですよね。建設業は作る過程では「プレハブ化」というか「工業化」ができていない。大工さんや内装屋さんが入って手作りでやっている。これをさらに機能化していけば、まだまだ改革する余地があると思いますね。
 |
(澁谷)御社が考えている新規事業とかこれから注力していこうという事業、分野というのにはどんなものがあるのでしょうか。
(金綱社長)新たに中古住宅や中古ビルの再販事業を考えております。
不動産物件を買い取り、コンバージョンして、再販するという事業です。アメリカではそういったものが新築よりもずっと多い。ですからアメリカ人というのはご存知のように庭を整備して家にペンキを塗ったり飾りつけたり、常に改修して綺麗にしておく。生活環境も違いますが、隣人を招いてパーティをやったりする。日本人は、家の手入れはほとんどせず、20年もするとボロボロになり価値も無くなる。しかし、今後は変わりますよ、日本は気候が湿度の高い国ですから、今までは木質の住宅が圧倒的なシェアでしたが、それが木質から鉄筋に変わりつつあり、日本の気候風土の中ではこれは50年、100年もちますから、これからはこういったものをコンバージョンする時代になってくるでしょう。 |
(澁谷)若手の、20代30代の銀行員の人たちに向けてお言葉をいただきたいのですが。
(金綱社長)一つは銀行というのは企業にとっても個人の生活にとっても、人間の体で言う血液、心臓の役割なのですね。経済、社会の核になるようなポジションにあると思うのです。良い形で事業観を達成していくことによって、社会環境がたいへん豊かなものになる。その源泉になりうるものですから、非常に大事な産業構造だと思いますよね。
金融それ自体が「命の次はお金だ」とよく言うように、重要なポジションにあります。その点で銀行の価値観を新しい時代の価値観に高めていただけることが大きなことになると思いますね。ある意味で言えば従来型のただお金を融資して金利を取るという銀行ではなく、情報を広く深く作り上げ発信する機能を持って欲しいですね。私たち建設業が生活総合産業として、裾野を広げようとしているように、金融機関もただの「お金」そのものの融資や預金だけでなく、あらゆる金融に関わるあらゆる情報の裾野を広げていただきたい。そういう時代を迎えながら、スペシャリストを養成し、あらゆる方面で事業のパートナーとして関わっていただける、そういう環境が銀行にあればありがたいですね。
|