アメリカ通信−シリコンバレーの風−

シリコンバレーの風 Vol.1

シリコンバレーについて

北米大陸でたぶん、一、二番の温暖な気候を争うシリコンバレーは、日本人にとっても、とても住みやすい地域です。どういう訳か、ロサンゼルスの近くにあると、よく間違えられます。イメージが南カリフォリニアなのでしょうか。
サンフランシスコや、バークレー、シリコンバレーなど、サンフランシスコ湾岸の都市を合わせてベイエリア(2000年度で約678万人)と呼びます。乾いた暑さの日が多い、南カリフォルニアとはかなり違った気候です。サンフランシスコ市から高速道路101号を南に約一時間(サンフランシスコ空港からほんの30分)昔、一面の果樹園が広がっていた広大なハイテック産業地域の総称が、シリコンバレーです。四季もあり、春には花が咲き乱れ、ゆっくりと時間が流れます。

この地域は東西を山に囲まれたサンタクララ平野にあたりますが、半導体の産業の発展とともにシリコンバレーと呼ばれるようになりました。大部分の地域が人口約180万の、サンタクララ郡にあり、郡の外にも広がりつつあります。ピークには一時間毎に、億万長者が誕生、バブル期が数年続きましたが、2000年度後半には大きくはじけました。2001〜2003年間に45万人の雇用が失われたと言われています。

バブル崩壊から5年、蘇る今のシリコンバレーについてお話ししたいと思います。
事業計画のアドバイス、資金調達、人材雇用、基本設計、部品調達、サンプル製作、パテント登録、法律・税制の対応など、すべての起業インフラが車で30分以内の場所に存在することは起業家にとって最大の魅力です。中でも数多くのVCの存在は貴重です。

 

シリコンバレーのVC(ベンチャーキャピタル)ファンド

VC投資額

先月、3月の地元マーキュリー紙特集によれば、ピークの2000年度に投下された米総計1,050億ドルのVCマネー(うちシリコンバレー地区30%)が、2001年には400億ドル、2003年には190億ドルまで落ち込みました。
然しながら、2004年度には210億ドルと上向き始め、ほぼ1998年度レベルにまで戻ったようです。この間、この狭いシリコンバレーで全米VC投資額の30%以上をコンスタントに占めているのは驚くばかりです。バブル期のピークを基準として見るとまだまだですが、頂点の2000年、および前後一年をはずし、10年単位で見るとVCの投資額はゆっくりと伸びているようにも見えます。あのバブルのころには戻るまいと当地誰もが思っていますが、“適度な成長のための”資金供給は十分ではないでしょうか。

投資分野

資金投下される分野は大きく変わりました。2000年に28%を占めていた通信分野は2004年度に16%。これは1995年度の16%と同じ。ある意味で、2000年バブルは通信バブルだったのかもしれません。ソフトは‘95年14%、'00年22%、'04年24%と微増。変わって2000年度には8%であったバイオが29%とトップに浮上。本年2005年は、当地住宅と並びバイオバブルにあるのかもしれません。

それでは当地VCは、一般的にどのような状況にあり、どんな基準で投資決定を行い、何を出口に活動を続けていくのでしょうか?

著者 : 道高幸彦(みちたかさちひこ)−Sachihiko (Mike)Michitaka

シリコンバレー在、Ocean Seven Consulting, LLC ファウンダー & CEO.
日商エレクトロニクス(株)顧問役、(日商エレクトロニクス米国会社ボードチェアマン)。在米19年、2000年夏よりシリコンバレー在住。

米国IT会社マネジメント兼、コーポレートベ ンチャーキャピタリス ト(CVC)。 IT分野で数々の投資及び,日本市場での米国先端IT製品の販売を成功させている。 数多くの日米会社経営を経験、また地元シリコンバレー地区青少年更正センター理 事 などのボランテイア活動の他、CVCや経営指導者として日系起業家支援を続けている。

2005年6月末、日商エレクトロニクス常務執行役員及び米国法人社長を退任。
同年、7月シリコンバレーでマネジメントコンサル会社Ocean Seven Consulting, LLCをファウンダー・CEOとして設立。

1992年: 日商岩井米国法人 副社長
1996年: 日商岩井 情報産業本部副本部長
関係会社担当。ニフティ、インフォコム,フュージョン等の役員を歴任。
同志社大学卒、ハーバード ビジネススクール PMD コース修了
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