第2回 「私を鍛えた言葉−銀行の役割、銀行員に必要な資質・・・」

ワールドカップの二次予選が始まりました。北朝鮮戦はタイムアップ寸前に決勝点がはいり2対1でホームゲームをなんとか勝利したようです。この試合はニュースでしか見られませんでしたが、アジア杯をTV観戦して感動したのは「グランドの選手を見つめるジーコ監督(日本代表の現場責任者)、代表(国旗)の重みに死力を尽くす選手」の関係でした。監督がどんな指示を出しても、敵に応戦しつつチームの任務を遂行するのはグランドの選手です。
この真理はシンプルで、ビジネス以外にも生活全般に通じるところが多いため、サッカー、ゴルフ等のシンプルなスポーツが心を捉え、スリリングな感動を与えるのだと思います。

【入行3年目、企画から実施まで初めて任された時の支店長の言葉】

『この仕事は我々(支店長、課長)には経験したことも考えたこともないもの。若いロ卒啄君に任せたい。責任は私が取る。』 1971年に財形法が制定されると、先ず、公務員に制度が導入されたが、勧誘合戦は熾烈を極め、当行は惨敗した。「大手証券は生保レディーを動員し、加入時には携帯ラジオのプレゼント付き、生保レディーには獲得一人に○万円」などという噂が広まった。私は関西の支店にいたが、銀行が地元民間企業の天引き預金で証券には負ける訳にはいかない。そこで、中小海運のオーナー(決断が早い)を取り込み、船一隻まるごと乗組員を獲得する作戦を展開した。先手必勝、ノウハウを蓄えた。

* 後に、当行はこの時に辛酸をなめさせられた証券と組んで住専を設立。25年後にはその処理を担当することになるとは…。「事業の寿命は30年。」

ある日、課長とともに支店長に呼ばれ、「次は、個人客の新規開拓。」と、新しい注文が出た。
当時の個人客の新規開拓は、①文芸春秋等の雑誌綴じ込み葉書による資料請求、②取引先の退職者を財務部(課)が斡旋、③華僑出身者、医師会、教職員等をターゲットに既往客の紹介が主で、支店独自の企画はなかった。私は、財形積立金のような天引き資金の効率に魅かれていたので、「毎月集金とか振込み顧客を増やし、且つ将来の財形導入に先駆けて囲い込み狙いたい」と、公立学校教員を対象とした毛筆手書きのDM企画を考えた。
教員は共稼ぎで実家は金持ちが多いし、毛筆の封書は拒絶されまい…?

*昭和48年当時40歳台の先生はその20年前に師範学校を卒業している。戦後日本が本格的な経済復興が始まる朝鮮戦争の前に大学に行かせられる家庭は金持ち。私が小、中学校の頃(昭和30年代)、先生は土地の名士の出で、その家は尊敬を集めていることが多かった。加えて、小学校には女教師が多かった。ということは、一人分の給料はまるまる預金される可能性がある。一人10万円、ひとつの学校に50人以上の先生がいるとすれば、10人、10校取れれば1000万円、年間で1億5000万円位の安定した純増を生み出す可能性がある。退職金も取り込める。神戸近隣には1000位の学校はあるだろう?集金は嘱託に任せれば良い。
と、そんな皮算用をしていた。但し、少々の時間が掛かる。

課長はこの企画について、《大口顧客開拓の効果》という点で不満を持っていたが、我々の勢いに押されて「まあ、仕方ない…」と不承不承認めていた。説明の途中で、支店長から同じ感想が出ると、課長はすかさず「私も、その点が不満で、個人的にはこの企画に反対なのです。」といった。

支店長は、
『ロ卒啄君に任せた案件だが、課内の検討を経たものだろう。それをロ卒啄君の説明の途中の私の一言に、課長が「実は私もそう思った」とは何事。我々には経験もセンスも無いから、若い人に任せたいと決めたこと。この企画をどうするかは私が決め、責任も取る。黙ってらっしゃい。』

嬉しかった。課長が梯子を外しかかったのを、きちっと切り捨てたのがカッコ良かった。任せると決めれば、新人でも信頼し予算をつけてやらせてみる。『きっと、財形の仕事振りを認めてくれたのだろう。』
支店長の公平さと器量に感激した。

最初のDMを夏休みに入った頃、暑中見舞いの形で出し、「会社と商品の自己紹介」をした。実りの秋には「時候の挨拶とボーナスの勧誘」をし、正月には年賀状を出すという展開となった。DMは全て筆書き、年賀状以外は封書にした。とにかく、卒業生からの便りを装った丁寧なお手紙とすることを心掛けた。相手から問い合わせが来るまで、直接勧誘する様な失礼はしない。年明けから、ぼちぼち問い合わせが入ったが、なかなか結果が出ない。一年目は数件の成果だが、先生の机の上に置かれたマスコット人形が周りの先生に語りかけてくれるのでは…。同僚の紹介を頼めるタイミングを探した。二年目で30件程。学校に行く機会が増え、マスコット人形が増えるに連れ紹介も増えてきた。副次的な成果が退職金の獲得に現われた。先生の机のマスコットを生徒が見る。預金を子供に贈与する。遺産が子供に相続される。銀行は、お客様と長いお付き合いが出来て、安定した資金基盤を確保できる。この資金が企業活動をサポートすることで経済が順回転し、成長を続ける。教科書のフレーズが信念に生まれ変わる仕事となった。
『トップの信頼、それに応える努力が部下を成長させる。』

ペンネーム  「?啄」(55歳)
1971年入行後、大口顧客・財形等の個人営業、新規開拓、企業審査、企業再建、不良債権処理等の法人営業、更に営業企画、内外の業務効率化・監査再編等の本部業務を本店、首都圏、関西圏で課長、部長、支店長、役員として幅広く担当。現在は、運用会社の役員として、資金運用、リスク管理、コーポレートガバナンスの向上に取り組んでいる。