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第2回 続・経営者の思い ~社長秘書と云う名刺~|企業審査あれこれ

著者:ペンネーム シニアアナリスト

 金融機関だけでなく、足許では株式の公開、上場の審査を行う証券会社や証券取引所、更には企業の信用力を格付の形で評価する格付機関までが企業経営者との面談を通じて、その事業開発力や運営能力を評価せんとする姿勢を強めている。「企業は人なり。」は事実であり、就中、経営者の能力、人となりがベンチャービジネスや中堅クラスの企業のみならず、昨今では「顔」の見える大企業経営者とのコメントが喧伝されるように、事業の展開力や信用力を通じた外部からの企業評価に大きく影響することは云うまでもないことである。

 銀行員と云う職業のメリットは金融取引を通じて多くの経営者と出会い、決算内容や新たな事業計画の説明を通じて、また場合によっては会食等を共にする場面の中で、その人柄や人生観に触れる機会を得られることではないだろうか。事業を興し発展させる中で社内外の数多くの人びとと出会い、共感を得て事業を進める場面、また時に意見や事業観の相違から袂を別つなどの経験をされた経営者から示唆に富む話を伺い、深く感銘を受けた銀行員は少なくない筈である。

 流通事業で成功された経営者との会食の際に忘れ難いお話を伺ったことがある。その会食は夕刻のもので、終わりの時刻も九時を既に過ぎていた。年少者の礼儀として、その社長の車、所謂社長車を探しに外に出ようとすると、「いやお心遣いは無用です。車は返してありますから。」との声に呼び止められた。「いつもそうなさるのですか。」と尋ねると、「社員の運転手にも家庭がありますから、こんなところで待つよりも早く帰って夕食を家族と一緒にしたほうがいいですよ。」と、事も無げにされている。

 怪訝そうな私の顔を気にされたか、話題を続けてこられた。「私担当の運転手がどんな肩書の名刺を使っていると思いますか。実は、社長秘書と云う役職にしています。組織ですから上に立つ者とそれを支えてくれる者とがいることは致し方のないことです。他方、社員一人ひとりを支えているのは、その家族の方々です。自分の家族に自信を持てる仕事、これがいい仕事をする原動力ではないでしょうか。言葉の綾とお感じになるかも知れませんが、夫や父の職業を問われた時、どちらの方が答え易いか。これも大切なことではないでしょうか。」更に、「只、秘書は秘書としての仕事に責任を持ってやって貰いますよ。私の日々のスケジュール及びその履歴、外出時の行程や順路、所要時間の目安などは完全に把握していること。これは当然の職務です。但し、会食の際の待機は彼の職務ではないと云うことなのです。」と。にこやかに付け加えておられました。

 月並みな表現ながら、厳しさと思いやり、プロとして職務が求められている時間とオフとの区別、企業トップである以前に職業人としての立ち居振る舞い、人のやる気に報いる術の一端を優しく目の当たりにさせて頂いたと感じている。無論。この社長の率いる企業はその後も事業を成功裡に拡大中である。