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山梨中央銀行 進藤 中 頭取 インタビュー

「部下を信頼し、人との関わりを大切にする」

富士山を始め、南アルプス、八ヶ岳、大菩薩嶺と四方を山に囲まれた山梨県。自然に恵まれ、果物やミネラルウォーターの産地、また精密機械工業の集積地としても知られています。しかし昔は、寒暖の差が激しいため、作物が育ちにくい大変貧しい土地柄だったとのこと。山梨出身の著名人には石橋湛山元総理や金丸信元副総理など多くいらっしゃいますが、みなさん苦労して大成した方が多いそうです。
今回の巻頭インタビューでは、そんな山梨県甲府市に本店を置く、山梨中央銀行の進藤頭取に同行の強み、人材育成、頭取の経営哲学などについて伺いました。

聞き手:リッキービジネスソリューション(株) 代表取締役 澁谷 耕一

○山梨中央銀行のPRポイント
<強みは「健全性」 / 東京での営業基盤>

山梨中央銀行 進藤 中 頭取

▲ 山梨中央銀行 進藤 中 頭取

<澁谷>

御行のPRポイントをご説明いただけますか?

(進藤 頭取)

大きく挙げて2つあります。

1つは「健全性」。
当行では「地域密着」と「健全経営」を経営理念にしておりますが、実際に「健全性」においては地銀の中でもトップクラスであると自負しています。そこが一番のPRポイントだと思います。


2つ目は、本店は山梨県にありますが、半世紀ほど前から東京都に店舗展開をしており、現在支店16店舗、法人営業所1箇所、ローンスクエア3店舗という多くの営業拠点を、主に東京西部地区に展開していることです。東京以外に本店を構えている地方銀行の中では、都内に出店している数が一番多いんです。少子高齢化が進み、山梨県の人口も減ってきている中、将来を見た時に、都内にこれだけの支店を持ち、ローンスクエアなどを構えているというのは、今後営業展開していく上でかなりの強みになると思っています。

<澁谷>

私も実家が国立という東京西部地区にあり、甲州街道や中央線など山梨県とは非常に近いと感じます。東京に店舗展開する際の難しさ、県内との違いなどはございますか?

(進藤 頭取)

昭和51年に吉祥寺(東京都武蔵野市)に支店を出した時に私自身、開設に関わりました。


その時に一番感じたのは、山梨では「山梨中央銀行」と言えば全て話が通じるのに、吉祥寺では知名度が全くないため、まずは名前を知っていただくところから始めなければならなかったことです。そこが山梨と東京の大きく違うところです。これは当行の行員誰に聞いても真っ先に同じことを言うのではないかと思います。


逆に言うと、都内の店舗でそういった苦労をした行員が山梨に戻ってくると、とても仕事がやりやすい訳です。「山梨中央銀行」を分かっていただけるので、全精力を営業に注げる。ただ、東京でも一度お取引が始まれば、私共の良さを分かっていただけるので、皆さんと長いお取引をさせていただいています。



○新店舗を開設する際の武器とは?
<優秀な人材を採用できる / 山梨県出身者の存在>

<澁谷>

東京都内には多摩中央信用金庫さんや西武信用金庫さん、東京都民銀行さんもメガバンクさんもあるという中で、新店舗を出すにあたっていわゆる競争があると思います。競争下において、山梨中央銀行ならではの武器はなんでしょうか。

(進藤 頭取)

ひとつは優秀な人材です。


 山梨には地方銀行は当行しかなく、また、大企業もさほど多くありません。従って、山梨に戻ってこようという優秀な学生さんを採用できます。彼らは東京で苦労をさせても一生懸命やってくれますし、また成長して山梨に戻って来ることが出来るのです。


 もうひとつは、山梨出身の方の存在です。


 昭和40年に新宿支店を開設したのを皮切りに昭和52年の小金井支店まで、東京の中央線や京王線沿線に次々に店舗を展開しました。山梨と東京を結ぶ中央線沿線には、山梨出身の方が特に多くいらっしゃいます。当初都内に店舗展開を始めたときは、その地域の山梨出身者、山梨県人会の名簿を頼りに歩いて回り、その方々から色々なお客様を紹介して頂くという方法をとってきました。


 その後15年ほど東京都内の出店は途絶えておりましたが、平成9年にみなみ野シティという新駅に支店を作りました。全くのニュータウンですから、山梨出身者を頼りにするというやり方ではなく、そこにいるお客様をターゲットに営業していきました。またしばらくしてから、町田や府中などに幾つか支店を出しましたが、この頃になると山梨出身者を頼りにするような営業からは離れ、普通の営業で顧客開拓をするように変わってきました。山梨ゆかりの方の大半はすでに、既存の店舗でお取引して頂いていたからです。  
 最近はまた少し変わってきました。「山梨県人会連合会」という組織の会長をされている弦間明(げんま あきら)さん(元資生堂社長)が、「ふるさとリンケージ200」という構想を打ち出したんです。この構想は、「山梨県に在住している80万人と、首都圏にいる山梨にゆかりのある人たち120万人で力を合わせて、山梨の発展のためにみんな努力しましょう」というもので、2年前にスタートしました。私共もそれに賛同し、改めて山梨にゆかりのある企業さんとつながり合う、よい機会となりました。

 そこから、山梨とは別の新たな取引先もまた紹介して頂いて…ということを今やり始めています。
 一回山梨を離れ、今また改めて山梨の縁を大切にというような形になっているのです。


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○山梨県の県民性<貧しい土地柄の中から生まれた実業家が多い>
に ついてインタビューします。

(2014/2/取材 | 2014/3/20掲載)

金融機関インタビュー